ありがとう はな子

 ゾウには長いまつげがあることをご存知ですか?しかも二重瞼です。ゾウは不思議な生き物です。こちらが浮き立つ気分で見ていると、ゾウも楽しそう。沈んだ気分でいるとゾウも寂しそうに見えるからです。長いまつげの奥の目は、愁いを含んで雄弁です。

 物心ついたころからよく足を運んだ井の頭自然文化園は、東京都三鷹市と武蔵野市にまたがる公園で、ゾウ舎にはいつもゾウが1頭いました。はな子です。息子が幼い頃、「ハナコ―!」と呼びかけたら、鼻をあげてこたえてくれたことがありました。人気者のはな子、還暦を迎えた時には、たくさんのおめでとうメッセージが寄せられました。そのはな子が、平成28年5月26日に死んでしまいました。 

 先日、久しぶりに井の頭自然文化園に行ってみました。主のいないゾウ舎のコンクリートの庭は寒々しく感じられました。ゾウ舎の中に入ると、檻の前にはたくさんの花束や手紙、それに子どもたちが描いたはな子の絵が手向けられていました。千羽鶴もありました。

 元気な頃のはな子の写真を見ました。大きな熊手をくるっと鼻で持ちあげたはな子は、ごきげんなようすです。鼻が届かないところを飼育係が熊手でごしごしこすると、気持ちよそさそうにしていたそうです。はな子にとって熊手は"孫の手"なのです。はな子のおもちゃは、タイヤでした。寝室に置いてあるタイヤを足でぐにゃっと折り曲げて遊びました。木の棒や箒もお気に入りで、木の棒を鼻で持って地面をこんこん叩いて遊んだそうです。

 戦争中、ゾウをはじめ動物園の多くの動物が処分されました。はな子は、戦後ゾウを見たいという子どもたちの声に応えて、タイから上野動物園に贈られてきたのです。2歳半の小さなゾウは熱狂的に迎えられました。その後、井の頭自然文化園に。群れで暮らす習性のゾウにとって1頭だけというのは不安やストレスがあったのでしょう。夜ゾウ舎に忍び込んだ酔っ払いに驚き、踏み殺してしまいました。更に飼育係を死亡させてしまうという事故も起こり、はな子は殺人ゾウと恐れられ、暗いゾウ舎の中で4本の足を鎖でつながれてしまいました。

 殺処分も検討されましたが、はな子の心に寄り添うように世話をした飼育係の懸命な働きにより、日本で最も長生きしたゾウになったのです。来園した子ども達の手から直接おやつをもらうほど、人間にも慣れました。雨が降っても、一人ではな子に会いに来る人もいました。はな子を自分の人生に重ね合わせていた方も多いことでしょう。数々の贈り物がそれを物語っています。はな子69歳。ありがとう。

掲載:「月刊公民館」(全国公民館連合館)2017年4月号