おまえんち、餃子屋?

「きょう、家庭科の調理実習があって、僕らは餃子を作ったんだけど、『おまえんち、餃子屋?』って言われたよ。」
「え、どうして?」
「餃子の包み方がうまいって。プロ級だって言われた。」
高校生の息子の言葉に、私は嬉しくなった。たしかに息子が包む餃子は、ほれぼれするほど見事なのだ。一方が平らでもう片方がコロッとふくらみ、ひだの寄せ方が均一で、実においしそうに見える。悔しいけれどまねできない。

これも、幼い頃からお手伝いをさせた成果だと私は自負している。息子が2歳ぐらいからお手伝いをさせるように心がけてきた。レタスをちぎってもらったり、ホットケーキを混ぜてもらったりした。すりおろしたニンジンも一緒にいれるとちょっと赤くなるねって言いながら、出来上がりを楽しみにがんばった。遊び感覚で子どもは夢中になる。もちろん、時間はかかるし汚れるし、でも、そこはじっと我慢。包丁だって器用に使った。初めはきゅうり、やがてニンジン、ピーマン……etc.子どもは自分が手伝ったものは必ず食べる。そこですかさず、褒めることも必須アイテムだ。

「タックン(息子のこと)が切ってくれたきゅうり、おいしいね。タックンが切ってくれたピーマン、炒めたら緑色にピカピカ光ってるね。」
私に似て、おだてられると、木どころか東京タワーにまで登ってしまいそうな息子は、たちまち台所に興味を示し、「おてちゅだい、ちてあげる」と、よく言ってくれた。こうなれば、しめたもの! お陰で好き嫌いもなく育ってくれた。子どもが台所に興味を示したときが、食育のチャンス! 「ようこそ台所へ」という気持ちで、何かひとつ手伝わせてあげることが大切なのだ。

あの頃は楽しかった。食事も賑やかだった。今、夫は単身赴任中。息子とふたりで食事するようになり、気がつくといつもテレビがついている。息子の目はテレビに釘付け。箸は進んでいるものの、自分が何を口に運んでいるのかさえ自覚していないようである。

「食事中はテレビを消そうか。」
「え、消して何するの?」
「おしゃべりしながら食べるの。」
唖然とする息子に抵抗する間も与えず、私はさっさとテレビを消してしまった。すると、話しかけても仏頂面。会話のキャッチボールを楽しむどころか、だんだんイライラしてきた。こんなはずではなかった! 夕食時、息子との微妙な駆け引きが続いた。

そんなある日、母の日にカーネーションやカードをもらったという友人たちの話を聞いて、私は息子に抗議した。
「私は誕生日やクリスマスには、いつもカードやプレゼントをあげているのに、母の日に『ありがとう』のひと言もなかったわね!」 
自分でも驚いてしまったが、言い終わらないうちに涙ぐんでしまった。仕事で留守にするときも、食事はしっかり用意するようにがんばっているのに、感謝の言葉もないから切なくなってしまったのだ。細かい字が見えにくくなる年頃の母親を持つ息子は、辛い。

すると彼は、夕食を作ってご馳走するというではないか。メニューは、餃子だという。大好物の名前を聞いて、さっきの涙はどこへやら、たちまち満面笑みとなった。我ながら単純であるが、こういう時は食べ物でご機嫌をとるに限ると、高校生の息子は長年付き合っている母親をよく知っているものだと感心した。

かくして、息子が餃子を焼いてくれることになった。もちろん、ご飯とお味噌汁も。餃子が焼きあがると意気揚々と食卓に運んできた。まず自分が一口食べて、「う〜ん、うまい! 良くできた。」 いつになく真剣な目で食事をしている。気がつくとテレビはオフ。
「どう? 自分が一生懸命料理すると、テレビを見ながら食べようなんて思わないでしょ。」
「おおっ、おっしゃる通り!」

食べることは楽しみだし、生きている限り必要なこと。お手伝いすることで、作ることと食べることの喜びを知る。それが「生きる力」につながるはず。食事を大切にすることで、子どもも落ち着き、家族のあり方も変わってくるのではないかしら。それに、今の時代、男の子だって料理ぐらいできなきゃ、結婚できないかもしれませんからね!

掲載:「公庫月報」2006年4月号より