じゃあ、またね!

 中庭から柔らかな日差しがさしこむサロンで、私はコーヒーとチーズケーキを味わいながら、お年寄り達とテーブルを囲んでいました。友人に誘われて自宅の近くにある老人介護施設に遊びに行ったときのことです。毎週水曜日の午後、喫茶店が出前営業してくれるのです。ずっとうつむいたままの人もいれば、楽しそうにおしゃべりしている人もいます。半数近くが痴呆症で、体の不自由な人や、健康だけれど事情があって入所している人などさまざまです。

 ピアノの演奏が始まりました。音大に通う男子学生がボランティアで来てくれるのだそうです。でも、聴いている人はあまりいません。彼が演奏するのは、ビートルズやバッハだったのです。テーブルの上に「夕焼け小焼け」などの歌集があったのでリクエストしてみました。すると、今まで一言も話さなかった男性が口を動かし始めました。ぶつぶつ文句を言っていた女性も歌集を手に取りました。突然立ち上がって指揮を始めた女性もいました。体をゆすって楽しそうです。長年、学校の先生をしていたので時々その記憶が呼び覚まされるのだそうです。歌声がだんだん重なっていき、みんなの表情が柔らかくなっていきました。

 ピアノが終わると、私になにか話してほしいとリクエストがありました。痴呆症の方もいらっしゃるし何を話したらいいかしら……。でも、みんな声をだすのは好きなようです。NHKの番組のエピソードを話したあとで、早口言葉の練習をすることにしました。
「『生麦、生米、生卵』みなさん、ご存知ですねー。」
「はーい」という元気な声がして、さっそく言い始める人もいました。はじめはゆっくりと、しだいに早く言えるように練習しました。うまく言えなくて笑いだす人がいました。その笑い声に誘われて笑いの渦が大きくなり、いつの間にか賑やかなティータイムとなりました。

 「それでは、『じゃあ、またねー!』というご挨拶でお別れしましょう。イチニノサン、じゃあ、またねーーー!」
大きな声でした。みんなで手を振りました。背中に気配を感じたので振り向くと、私の後ろにはあとからやってきた車椅子の方たちがいて、私の背中に向かって手を振ってくれていました。後ろでずっと話を聞いてくれていたのです。
「わあ、気が付かなくてごめんなさい。」
駆け寄って、一人一人と握手をしました。その私の手を両手で包むようにしてひとりのおじいちゃまが、「またね!」と、微笑んでくれました。

  「さようなら」でも「バイバイ」でもない「じゃあ、またね!」私の好きな言葉です。

掲載:「月刊公民館」(全国公民館連合館)2004年7月号