大晦日のおばあちゃん

 私が高校生の頃、大晦日恒例の紅白歌合戦を見ていたら、母が、「あれ、あの明かり、なんだろう?」と、外を見て言いました。南側はスーパーマーケットの駐車場。営業は終わり真っ暗です。子どもの背丈ほどの高さまで、生垣が張りめぐらされています。母の指差す方を見たら、ぼんやりとした明かりが低い位置でユラユラと漂っています。方向が定まらない明かりが、ヌーっと、あたりを這い回っています。生垣の根元でスッと消えたかと思うと、アスファルトの上にフッと浮かび上がります。両親と弟と私が外に出ました。まったく人の気配が感じられないなかで、明らかに何かが動いています。父が声をかけました。
「誰かいるんですか!」
 暗闇からは何の反応もありません。明かりは不可解な動きを続けたままです。得体がしれないものの存在に、恐ろしさがこみあげてきました。

 その時です!家の中にいた祖母が、木戸をあけて、明かりのほうに向かって歩き始めるではありませんか!
「どなた様?そこで何しているんですか?さがし物かね?」

 勇敢な祖母の振る舞いに驚きながら、声のするほうを見つめました。祖母が何かの手を引いて歩いてきます。その影を見て、私は息をのみました。祖母に手を引かれて現れたのは、祖母の腰くらいの背丈しかないお年寄りでした。腰の曲がったそのおばあちゃんは、無表情で、懐中電灯を握りしめ、しかも裸足でした。この寒空、着物ははだけ、上着も羽織っていません。すぐに家へ入ってもらい、お茶を出しました。祖母がいろいろ話しかけました。が、うつむいたまま何も答えてくれません。私の頭の中には、たくさんの「?」が並びました。 

 間もなくおまわりさんがやって来て、家族から捜索願が出されていると話してくれました。今で言う「痴呆症」で徘徊癖があり、どこにそんな体力があるのかと思うほど遠くから歩いてきたことがわかりました。年をとると、こんな風になってしまうこともあるのだという現実を、初めて知った大晦日でした。

 それにしても、わたしのおばあちゃんは頼もしかった。「怖くなかったの?」と、きいたら、「この年になると、怖いものなんて何もないよ。それに、あの明かりは、人以外考えられないじゃないか。」と、屈託なく笑っていましたっけ。

 あれから30年。その祖母も95歳。今では、徘徊こそしないけれど、過去と現在を自由に行き来してしているおばあちゃんになりました。

掲載:「月刊公民館」(全国公民館連合館)2004年12月号