おばあちゃんの笑顔

病院のベッドで眠っているその顔は、私の知っているおばあちゃんではありませんでした。目がくぼみ、頬がこけ、肩で苦しそうに息をしています。ひと回りもふた回りも小さくなり、小学校の理科室で見た骸骨を、ふと思い出しました。わずか2週間あまりの間に、人はこんなにも衰えてしまうのかと、私は言葉を失いました。祖母は96歳。命の炎が燃え尽きようとしているのだと直感しました。

幼い頃、よく祖母に連れられて買い物に行きました。私のちょっと先を歩く祖母の右手が私に向かってパッと開くと、私は条件反射のように手をつなぎました。いつも私を守ってくれたその手を、私が引くようになって、どのくらい経つのでしょうか……。何事も先頭に立ってずんずん進んでいくような人でした。負けず嫌いで気が強く、それでいて面倒見がよく明るいので、我が家にはいつも大勢のお年寄りがお茶を飲みにやってきました。

変わり果てた祖母に向かって、私は、「おばあちゃん、おばあちゃん」と、何度も呼びかけましたが、反応がありません。そこで私は、しっかり閉じられている、というか、力がなくてあけることができない両まぶたを上へ持ち上げてみました。戸惑ったような黒目がしばらく宙を舞いました。

「おばあちゃん、まきちゃんだよ。わかるかな?」と、顔を近づけ声をかけると、祖母は、唇をすぼめて、ゆっくりと、「ばあーっ!」と、言って微笑みました。"いない いない ばあー"をしたのです。私はびっくりしました。嬉しくて嬉しくて大きな声で笑いました。なんてお茶目なおばあちゃん! 認知症がすっかり治ったように私には感じられました。

次に私は、点滴の針が刺さっている祖母の手をゆっくり取って、幼い頃祖母とよく遊んだ"せっせっせーのよいよいよい 夏も近づく〜♪"と、歌ってみました。すると、祖母がまた笑いました。今度は、歯のない口をあけて、声を出さずに、息で笑ったのです。可笑しくてたまらないといった笑顔でした。心地良さから思わず口元がほころんだ笑い顔を見て、私は涙がこぼれそうになりました。それは、打算のない、無垢の笑顔でした。力強く輝いて見えました。笑ってくれた! ただそれだけですが、その笑顔には、「いやだねぇ、この子は。大丈夫だよ、ありがとうね…」そんな多くのメッセージがこめられているような気がしたからです。

ベッドに横たわっているのが精一杯の状態なのに、私を笑わせたり泣かせたりできるなんて、やっぱりおばあちゃんは私のおばあちゃんだなあ。そんなおばあちゃんの笑顔に、私はたくさんの「元気」をもらいました。「笑顔は元気のバロメーター」だと、私は多くの方にお話していますが、このときほどそれを実感したことはありませんでした。

掲載:「月刊公民館」(全国公民館連合館)2006年1月号