通勤電車は痛緊電車

東京の通勤電車は、心がささくれだってくるような不快感があります。

ある日、夜10時を回った車内に、ほろ酔い加減の男性が乗ってきました。定年退職後ぐらいのその人は、立っている人を掻き分けて、7人がけのシートに6人しか座っていないところをみつけました。席をつめてもらおうと、眠っている青年の肩をたたき軽く会釈しました。ところが、青年は露骨に厭な顔をし、ちょっと腰を浮かしましたが、とても大人ひとり分のスペースはありませんでした。でも、お構いなしにお尻を割り込ませて座りました。「まったく!」吐き捨てるような青年の声が。次の瞬間、酔っ払っているとは思えない早さで立ち上がり、青年の顔を平手打ちしたのです。車内は騒然となりました。止める間もなく青年も殴りかかり、男性は床に倒れました。乗客の波がパッと割れ、数人の男性がふたりを引き離しました。私は足元に飛んできた眼鏡を慌てて拾い、男性に渡しました。ふたりは次の駅で、絡みあいながら降りていきました。

またある朝、車内はどこに足をおろしたらいいのかわからないほど混みあっていました。そんななか、やはり60代ぐらいの男性が必死で本を読んでいました。押し戻されてしまう本を両手で突っ張って持ち、仁王立ちになっています。そこだけ不自然な空間が広がっています。周りの人はたまったものではありません。本が顔にあたるので、のけぞっている女性や、上体をよじっている男性…etc.迷惑そうな視線をものともせず、ムキになって本を広げていました。ついに大学生でしょうか、男性が穏やかな口調で言いました。
「こんなに混んでいるのだから、やめたらいかがですか?」
「きさま、何を言う! 俺の勝手だろ。偉そうに言うな、若造が!」
妙な沈黙の後、青年が静かに、
「周りの人に迷惑だから、少しの間本を読むのをやめていただけないかと言っているのです。」
「なにをー! きさまこそ、でかい図体して迷惑だろう! もっと小さくなれ!」
この言葉に、車内に失笑の渦がわきおこりました。
「僕は背が高いですが、迷惑はかけていません。」
「きさま、まだ言うかー!」
殴りかかりそうな気配に、思わず口を挟もうとしたら、
「それは屁理屈というものですよ。皆迷惑しています。」
若い女性の凛とした声が聞こえました。仁王立ちの男性は、大きく咳払いをして、次の駅で降りていきました。

通勤電車は、さながら筋書きのないドラマ。いつ何が起こるかわかりません。もう少し心にゆとりがあったなら、ハラハラドキドキ、緊張しないで済むものを。きょうも通勤電車は、大勢のストレスを飲み込んで走っていきます。

掲載:「月刊公民館」(全国公民館連合館)2006年4月号