さようなら、絵門さん

去年の暮れに行われたあるシンポジウムで、絵門ゆう子さんと再会を果たしたときのことです。

「絵門さんは、SBS静岡放送(TBS系列)のアナウンサーに内定していたのに、NHKの試験を受けて、結局NHKに入ったでしょう。それが原因でSBSがNHKに抗議して、もめたんですって。翌年、私がNHKを受けたとき、人事部長に呼ばれて、NHKを辞退してSBSに行くように頼まれたんですよ!」

「えー! そんなご迷惑をかけていたんですか。ごめんなさいねぇ。」

屈託のない笑顔につられて、私も笑ってしまいました。絵門さんが亡くなる4ヶ月前のことです。

末期癌で、本当は立っているのも辛いだろうに、生きていることの喜びや、言葉ひとつで絶望したり生きる希望が湧いてきたりすることなどを、1時間にわたり語ってくれました。癌が全身に転移して首の骨が折れてしまったために、講演が終わるとすぐ首にコルセットをしていました。舞台の上ではずっと立ったままで、身振り手振りも交え、心地よい声で話し続けていました。

旧姓池田裕子さんは、NHKを辞めてから女優としてもデビューし、フリーアナウンサーとしても順調に思えましたが、いつしか姿がみえなくなり気になっていました。しばらくして、末期癌であると知りました。あらゆる民間療法に頼り生死の境をさまよったのち、化学療法を始めたと聞きました。

NHKの採用試験の際、私は2次音声試験が終わりスタジオを出たところで人事部長に呼ばれました。SBSから、私がアナウンサーに内定しているという知らせが入ったため、SBSに入社するよう説得されたのです。その原因が池田裕子さんにあると聞き、誰だってNHKを選ぶに違いないとは思ったものの、なにか割り切れない思いを抱いたことを覚えています。

結局私は、SBSに2年半務めた後、結婚のため東京に戻り、NHKのオーディションを受け、ラジオの「NHKジャーナル」を担当したのでした。裕子さんに会ったら泣き言のひとつも言わなきゃ気が済まないと思っていたのに、まさか、このような状況で言うことになろうとは……。

久しぶりにお目にかかった絵門さんは、NHKにいた頃よりずっと輝いていました。一瞬一瞬をしっかり生きていることから滲みでてくる、凛とした美しさなのでしょう。

「ね、村松さん、今度私の朗読会に出てくださらない?」
瞳を輝かせるというのは、まさにこのことだと納得するほど、大きな瞳をキラキラさせながらおっしゃいました。再会の約束をしたのに、それは叶わぬ夢となってしまいました。

 絵門さん、あなたに、もう二度と会うことができなくなってしまったけれど、あなたが教えてくれた、諦めずに希望の糸を紡ぎ続けていくことの大切さは、私達の心にいつまでも生き続けています。ご冥福をお祈りします。

掲載:「月刊公民館」(全国公民館連合館)2006年7月号