アフガンの星は昆虫少年だった ☆彡

日焼けした顔で、控えめに語るその人は、まさしくアフガニスタン復興のために、地上に降りてきた星だと私は確信しました。中村哲さん、59歳。先日、思いがけずお話をうかがう機会に恵まれました。

中村さんは、パキスタンの北西部にあるペシャワールという、アフガニスタンとの国境の町を拠点に、患者の治療にあたっています。医師としてハンセン病患者の合併症治療のために、5年間という予定で行きました。ところが、その活動は現在に至るまで22年間続いています。

中村さんがペシャワールに入ったのは、1984年、ソ連軍がアフガニスタンに侵攻しているさなかでした。アフガニスタンからパキスタンに逃げてきた難民キャンプで治療に当たりましたが、ハンセン病だけではなくさまざまな伝染病が蔓延していました。

そこに追い討ちをかけるようにアフガニスタンを襲ったのが、大干ばつ。400万人が飢え、100万人が餓死寸前でした。子ども達は、我慢できなくて飲んではいけない泥水を飲んで赤痢にかかり、命を落としていきました。パキスタンでの医療活動は、いつしかアフガニスタンにまで広がったのです。

中村さん達は、飢えや渇きは薬では治せないと、井戸を掘ることを始めました。更に、耕作するための灌漑用水路の建設も始めたのです。自らショベルカーも操り、いつしか、お医者さんは土木作業者にもなり、人々の命をつなぐことに没頭していきました。

用水路に水が流れた瞬間、子ども達は水の中に飛び込みました。その写真からは、子ども達の笑い声が聞こえてきます。水の感触を肌で感じた喜びを体全体で表しています。水が流れる…そんな当たり前のことが、これほど子ども達を嬉々とさせるとは! 日本の子ども達には見られない笑顔でした。

「実はね、子どものころから昆虫が大好きで、あのあたりは、珍しい昆虫の宝庫だから行くことにしたんですよ。」

えーっ、きっかけは虫だったなんて!? 作業の合間にきれいな蝶をみると嬉しくなると、おっしゃいました。また、看護師だった奥様には、5人の子どもを委ね感謝しているとも。

「僕が女性だったら、ペシャワールに行くことには絶対反対した。だから口には出さないけれど、感謝しています。」

妻への労いの言葉を初めて口にしたと、頬を赤らめる中村さん。死と隣り合わせの毎日。爆弾がすぐそばに落ちた時は、生命保険はいくらだっけ…クリスチャンだけど、イスラム教で葬られるのだろうか…一瞬、そんなことを考えたそうですが、幸い不発弾で一命をとりとめました。

「アフガニスタンの復興に武力は要らない、パンと水さえあれば!」と語る中村さん。背広姿も素敵だけれど、チトラル帽(アフガン帽子)に作業服の方が似合っている! ファーブルに憧れていた昆虫少年は、アフガンの星となって、きょうも輝いています。

掲載:「月刊公民館」(全国公民館連合館)2006年8月号