タバ子さんに負けた

 単身赴任中の夫は、たまに帰ってくると奇妙な動きをしています。うつぶせになり背中をそらせて、まるで足がつったオットセイ(?)のような格好をしたかと思うと、両手を腰に当ててグルグル回したり…。それがお腹をひっこめるための体操だと知って、やはり気にしていたのだと納得しました。

 若い頃はスリムで、Gパンが似合う"イケメン"だったのに、息子に、「もういいかげん産んですっきりすれば?」と、言われるほど、まるで臨月のようなお腹になってしまいました。それ以来、室内で足踏みする健康器具を購入し、野菜を食べ、健康雑誌を読みあさる、健康オタクに変身していたのでした。ところが、煙草は一向にやめる気配はありません。むしろ、ひとり暮らしするようになり、以前より本数が増えているようです。

 結婚当初は、煙草のことでよくケンカをしました。自称「ガラスの声帯」というくらい私は喉が弱く、煙草の煙が漂うカラオケボックスにいるだけで、翌日声がでにくくなり、アナウンサーを続けていくことに不安を抱いていました。ある夏の夜、お酒を飲んでご機嫌に帰宅した夫が、そのままソファに倒れこんで眠ってしまいました。健康で長生きして欲しいのに、何回言っても分かってもらえないので、私はかねてから計画していたことを実行しました。

 「たばこダメ」「吸っちゃいや」「マイホームのために禁煙」…etc。無防備な顔して寝こんだ夫のワイシャツのボタンをはずし、お腹にマジックでいたずら書きをしたのです。明日の朝、目覚めたらきっと驚くだろうなぁと想像すると、クックッと笑いがこみあげてきました。煙草にも1本1本に、カラーペンでチューリップなどの可愛い絵を書き込みました。

 朝、叫び声が! 怒り出す夫に、
「私と煙草と、どっちが大切なの?」と、私が迫ると、
「真貴子はいなくても生きていけるけど、タバ子(女性の名前ふうにタの音を高く発音する)がいないと生きていけない。」
はあ…!? タバ子に負けた!

 そんな幾多の嫌がらせにも負けない夫ですが、一度だけ本数が減ったことがあります。それは、年金暮らしの父親が息子に禁煙させようと、タバコを吸いたくなったらこれを嗅ぐといいという小さなビンを送ってきたときでした。なにやらあやしげなそれは、見かけによらず高そうでした。いくつになっても子を思う親心は変わりません。その父も、脳梗塞で体の自由がきかなくなってしまいました。

 今では、私は煙草のことをうるさく言わなくなりました。夫も、もっぱら換気扇の下か外で吸うようになりました。近頃は、夫が倒れると、「119番」ではなく、真っ先に保険会社に電話する世の奥様方も増えているとか……。ご主人様方、お気をつけあそばせ。夫にとっては、私よりも付き合いが長いというタバ子さんだけど、値上がりしたことだし、この際別れちゃえばいいのに! 

掲載:「月刊公民館」(全国公民館連合館)2006年9月号