背中を押してくれたひと言

 10月1日(2006年)、八王子市の市制90周年記念式典が行われ、その司会を務めました。八王子市は、東京西部にあり、古くは織物の町として栄え、今や人口54万人もの大学のある学園都市として発展してきました。私がアナウンサーになるまで過ごしたふるさとです。

 未来に希望をつなぐ架け橋となるようなステージにしようと、何度も打合せをし演出も工夫しました。いよいよ本番。会場が暗くなりシーンとした瞬間、私の顔にパッーとスポットライトが。開始の合図です。幾分声を張り、明るくゆっくりとオープニングのコメントを言うと、ファンファーレが鳴り響き、大きな拍手がおこりました。うまくいった! まさに、アナウンサー冥利に尽きる瞬間です。

 台本通り順調に進んでいったのですが、途中、舞台の転換に予想以上に時間がかかり、私のコメントが終わっても緞帳が上がりませんでした。すると、まだ5分ほど時間が欲しいという合図が。

「準備にもう少し時間がかかるそうです。こういう時は、ああ、生放送でなくて良かったって思いますね。」

 会場に笑いの渦が起こりました。この数秒ほどの間に、私は、八王子で過ごした小中学生の頃の思い出を話そうと決めました。

 中学生のときは、バレーボールに青春をかけていたこと。キャプテンを務め、都大会で3位に入ったことを話すと、大きな歓声があがりました。こうなると、しめたもの。エンジン全開。アナウンサーになろうと思ったきっかけも話し始めました。

 小学6年生のとき、下校を促す校内アナウンスの担当が回ってきました。放送内容を書いた紙があるのですが、私はかねてから、自分なりに工夫した言葉で放送したいと思っていました。校庭でボール遊びをしている人は、ボールを片付けて帰りましょう、車には充分気をつけて帰りましょう…こんな内容だったと思います。勝手なことを言って注意されるかもしれないという不安な気持ちで放送室からでてくると、背後から声をかけられました。

「今の放送、良かったぞ。心がこもっていたよ。将来アナウンサーになるといいね。」

 担任の松浦先生でした。"アナウンサーになりたい!"単純にそう思ってしまいました。先生のこの言葉は宝物。私の背中を押し続けてくれたのです。

 ここまで話したところで、ステージ横から準備OKのサインが。あ〜、もっと話したい。話し始めると止まらない、それも、アナウンサーの悲しい性。

 それにしても、あの時の先生のひと言は、嬉しかった! あの言葉に出会えたから、今の私があるのだと、改めて感謝しながら、新たな気持ちでマイクに向かいました。

 

掲載:「月刊公民館」(全国公民館連合館)2006年12月号