カビだらけのパン

 私の実家にはよく来客がありました。祖母の友人を始め御近所のお年寄りが毎日お茶をのみにやって来ました。大学生の時、学校から帰るとお客さんが来ていました。でも、いつもと様子が違います。挨拶をしようと茶の間にいくと、きれいな女の人がいました。父と母と祖母と四人で、こたつを囲んでお茶を飲んでいました。その女性の目は真っ赤でした。泣いていたのです。

 「あ、こんにちは。おじゃましています。」涙をぬぐいながら、そう言って微笑んだその人は、女優の中田喜子さんに似ていました。

 その女性は、東京都の調査で家々を回っていたのですが、どこのお宅でも迷惑そうな顔をされて気持ちが沈んでいたところに加え、雨も降ってきて寒くなり、「もうきょうはやめようかしら」と途方に暮れていたそうです。でも、思い直して「最後にもう一軒」と、チャイムを押したのが我が家だったのです。

 玄関が開いて、厭な顔をされるかと覚悟を決めていたら、母が「まあ、まあ、ご苦労様です。寒いからどうぞ、お上がりください。」と言うのでびっくりしたそうです。奥の方からも「今ちょうど焼きもちができたから、一緒に食べましょう。」という声が聞こえたので、思いがけない言葉に嬉しくてその場で泣いてしまったのだそうです。

 その女性は、酒乱の父親から身を守るため、母親と兄弟と共に東北から東京へ逃げてきました。八王子市内にアパートを借りて仕事を見つけ、「さあ、これから」という時に、ひき逃げの交通事故にあってしまいました。生まれつき目が少し不自由なので、なかなか仕事がみつからず、東京都の調査員のアルバイトをして、我が家へやって来たというわけです。不幸ばかり続き、人間不信に陥り自殺をも考えていた矢先、故郷を思い出させるような温かい雰囲気にふれて、励まされ元気が出たと言って、何度も御礼を言って帰っていきました。

 それから、彼女は時々我が家へやってくるようになりました。私は「お姉さん」と呼んで慕っていました。仕事がみつかり、怪我も徐々によくなり、表情が明るくなりました。一度だけ、お昼休みに合わせて、仕事場の近くに遊びに行ったことがありました。浅草橋のあたりだったと記憶しています。私を見つけると、プリーツスカートを揺らして走ってきました。まるで運動会の徒競走のように、息を切らして走ってくるその姿は、少女のように可愛らしく感じられ、私は心が弾みました。「お給料が出たからまかせてね。」と言って、お昼ご飯をご馳走してくれました。仕事の条件はあまりよくないようでしたが、私は本当のお姉さんができたようで、嬉しくて、はしゃいだことを覚えています。

 ある日曜日、お姉さんのうちに遊びに行く約束をしました。お昼ご飯を作ってくださるというのです。私がお邪魔した時には、部屋中にクリームシチューのおいしそうなにおいが溢れていました。こたつに座って向き合って、そのクリームシチューをいただきました。私が、こぼさないようにスプーンを口に運ぶと「あまり自信がないんだけど……。」と言って心配そうに私の顔を覗き込みました。果たして、そのシチューは…実においしかったのです!

 朝から時間をかけて作ってくれただけあって、まろやかな優しい味がしました。不幸続きだったお姉さんに、やっと落ち着いた暮らしが戻ってきたことをうかがわせるシチューでした。ところが、少しあとに出されたパンを見て、私は言葉を失ってしまったのです。

 それは、カビだらけのバターロールでした。アオカビが生えていました。お姉さんが手にしているパンにも、少しですがカビが生えています。目が不自由なので気がつかなかったようです。「教えてあげた方がいいかしら…?でも、失礼かしら。お姉さんが恐縮してしまうことを考えると、このまま黙っていた方がいいかもしれない。」私はどうしたらいいのか、考えあぐねていました。パンをひと切れ口にしたお姉さんが、カビに気がついてくれたらいいのにと思ったのですが、期待は外れてしまいました。「どうしたの? パン嫌いだっけ?」と言われて、私は泣きたくなりました。「ううん。大好き」と言って手に取ると、カビのにおいが立ち上がってきました。私は、お姉さんに気づかれないように、カビがいっぱい生えているところをつまんで取って、かばんにそっと入れました。そして、カビのにおいのするパンを、シチューで流し込むようにして飲み込みました。やっとの思いで食べました。たとえ具合が悪くなっても、お姉さんのことが好きだからかまわないと思いました。それが、その時私にできた、精いっぱいのことでした。あとは、何を話したのかも覚えていません。でも、シチューをおかわりしたことだけは覚えています。それからしばらくして、お姉さんは引っ越して行きました。風の便りにお父さんに再会したと聞きました。

 シチューを作るたびに、あのカビだらけのパンを思い出します。もちろん、お腹が痛くなることはなかったけれど、あの時私はどうすればよかったのか、いまだに答えが出せないでいます。たった一年間の「お姉さん」でしたが、今どこで、どうしているのでしょうか……? 幸せを祈らずにはいられません。